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いづもナンキン振興会
いづもナンキン振興会の創設
時は寛延(1750)頃より、出雲藩では城下町において金魚の飼育が盛んとなり、逐年品種の改良と選別交配により他国に見られない郷土特産の優れた「いづもナンキン」を作り出したといわれています。戦争によってこの「いづもナンキン」も絶滅寸前となっており、それを危惧した松江市在住の太田億一氏の呼びかけにより昭和二十五年に「いづもナンキンを守る会」を結成し創立総会が開催されました。その後の名称も「南京保存会」、「南京振興会」と変わって行き昭和五十七年に県の天然記念物に認定されたのを機に、現在の「いづもナンキン振興会」と改名しました。以降、品質の改良に勤めながら松江市内各所にて展示会並びに研究会を開催し、昭和三十九年には第一回の品評会を市内デパート屋上にて開催し、その後毎年開催し現在に至っています。現在では県外会員(大阪、兵庫、広島、岡山、鳥取)を含め会員数約五十名程であります。
陽の目を見た「いづもナンキン」
金魚学の権威家松井佳一博士が、昭和四年九月島根県庁の依頼を受け、宍道湖水産会に対し養鰻について講演されたとき、役員として出席されていた佐藤寛市氏(現在、当振興会の審査員長佐藤健次氏の本家筋)から、初めて「ナンキン」の話を聞き早速佐藤氏方を訪問され数匹残存の「ナンキン」を見学し感動され、昭和十年六月二十五日発行の「科学と趣味金魚の研究」の本を出版されたことにより「ナンキン」が初めて国内に紹介されました。時は流れ昭和五十七年、当県で国体が開催された折、県水産課の依頼を受け天皇陛下の行幸に係る農林水産物展示会が開催され、そこで写真提供と共に「いづもナンキン」を展示し、陛下の天覧の光栄を賜りました。今や会員一同の飼育熱も一層高まり一般愛好家の理解と各放送局や新聞社等メディアの援助とご協力により他の天然記念物指定の土佐金(高知県)、地金(愛知県)と合わせて、日本の三大天然記念物金魚と称されています。
島根県文化財天然記念物「いづもナンキン」
昭和五十五年当振興会の創立三十周年記念の年を迎え、島根県天然記念物指定方申請書を県教育庁教育委員長に七月二十一日付提出しました。そして昭和五十七年三月二十七日当振興会に対し念願の島根県文化財天然記念物「いづもナンキン」の認定があり、同年六月十八日付で正式に認可されました。以来毎年開催する品評会と同時に、指定魚の認定会も開催し、審査の結果該当者には認定書を交付しています。
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